いるは〜と

ToHeart2 イルファメイン


 さて問題です。
 記念すべき夏休み初日、午前九時二十五分。
「あ、おはようございます貴明さん。朝ごはん、もう出来てますから早く下に下りてきてくださいね」
 姫百合家の一員であるイルファさんが河野家二階、世間的には河野貴明の自室となっている部屋にいるか答えなさい。
 尚、昨夜は間違いなく家に居なかったという条件がある事を追記しておく。
 ――――。
「……どうして?」

 A. 解りません


     *     *     *


 イルファさんは質問に答えることなくパタパタと部屋を出て行った。
 尤も、こちらが零した疑問は既にイルファさんが背中を向けた時だったため、仕方が無いといえばそうなるのだが……。
 たった今経験したばかりの内容のあまりの非現実さに思わず頬をつねる。
 痛い。
 まことに持って残念ながらここは紛うことなく現実らしい。
 いや待て。
 最近は痛くても夢って言う事があるらしいし、きっと夢だ、夢に違いない。
 大体姫百合家に居る筈のイルファさんが、何がどうなって俺んちに来なきゃいけないんだ。
 もう瑠璃ちゃんとケンカしてる訳でもないし、家出してくるような事だってありえない。
 なんだ、そう考えるとやっぱりこれは夢なんじゃないか。
 いかんなぁ、いくら夏休みの初日だからって寝ぼけちゃ。
 ちゃんと現実世界で起きないとなぁ。
 改めて布団を被る。
 ここが夢の世界という事はこちらで眠ればきちんと現実世界で目が覚める事が出来る筈。
 そうと解れば早速現実世界への帰還を――

 ……。
 …………。
 ………………。

「――ん、――あきさん!」
 ゆさゆさと体が揺さぶられる。
 どうやらぶじ現実世界に帰って来れたらしい。
 となると今体を揺らしているのは誰だろう?
 このみ……いや、タマ姉?
「もう、貴明さん!二度寝しちゃ駄目じゃないですか」
 果たして目の前に居たのはイルファさんだった。
 辺りを見回す。間違いなく自分の部屋だ。
 目覚まし時計を見る。さっきの夢と思わしき時間から20分が経過していた。
 ……つまり、やっぱりこれは現実?
「貴明さん、聞いてます?」
「え、あ、その、ごめんなさい」
 思わず謝ってしまう。
「もう、まだ寝ぼけてるんですか?いくら夏休みだからってそんなにだらけちゃ駄目です」
「……はい」
「もしどうしてもだらけたいのでしたら、私が貴明さんのお着替えからおトイレ、お風呂まで全部お世話しちゃいますけど」
「すいません勘弁してください」
「ならすぐに着替えて下に降りてきて下さいね?」
「はい……」
 イルファさんが差し出してくれた着替えを受け取り、ベッドから出る。
 とりあえず言うことを聞いておいた方がよさそうだった。
「では私は先に下に降りてますので」
「うん」
 イルファさんが出て行ったのを確認してからパジャマのボタンをはずす。
 と。
「やっぱりお手伝いいたしましょうか?」
 イルファさんがドアの向こうからひょっこり顔を覗かせた。
「い、いや!いいですって!!」
「そうですか……残念です」
 舌をぺろっと覗かせて笑うと、イルファさんは再び下へと降りていった。
「はぁ……」
 思わず溜息を吐く。
 何故イルファさんが家に居るのかは解らないが、少なくとも今日は平穏な一日にはならないだろう。
 そんな確信にも似た予感がした。


     *     *     *


「海外旅行?」
 朝ごはんを食べつつ、イルファさんに何故家に居るのかと問いかけた答えがそれだった。
「はい。出張なされてるご両親に会いに行かれると」
「イルファさんはついていかなかったの?」
「本当はついていって皆様のお世話をしたかったのですが……」
「うん」
「瑠璃様から貴明さんの世話をするように仰せつかりまして」
「…………は?」
 何でまた瑠璃ちゃんがそんなことを。
「瑠璃様が『たかあきはナマケモノやから絶対家の事とか考えてへんやろ。やからウチらが出かけとる間はたかあきの世話したって』と」
「あはは……」
 一見俺の事を考えてくれてるようで、実は厄介者払いのような気がしなくもないのは気のせいだろうか。
 いや、確かに家事なんか殆どやらないだろうけど。
「それともう一つ、こちらは本当は秘密にするように言われたのですが……」
「秘密に?」
「はい。『貴明かてもうウチらのか……家族みたいなもんなんやから、その、ほ、ほったらかしにはできひんし!』と」
「………………」
 前言撤回。
 瑠璃ちゃんは厄介者払いなんて考えている訳ではなかった。
 そしてその事がなんというか、その、非常に恥ずかしいというか、嬉しいと言うか。
 いろんな感情がぐるぐるとかき回されて表現するのが難しい。
「ふふ、貴明さんったら顔が真っ赤ですよ」
 イルファさんはすごく楽しそうに笑っている。
 きっと解っていたのだ。 瑠璃ちゃんが言っていた事をそのまま伝えれば俺がどういう反応をするのか。
 そして、本当に予想していた反応と同じだったことがおかしくてたまらないんだろう。
「……うぅ」
 なんだかすごく負けた気分だった。
「そういった訳ですので、お2人が帰国されるまでは私をこちらに置いていただけないでしょうか」
 首を45度傾ける必殺のスマイル。
 朝から早々にやりこめられていた俺がそれに対抗出来るはずもなく、イルファさんはしばらくの間ウチで過ごすことになったのだった。


     *     *     *


「貴明さん、お昼ご飯は何がよろしいですか?」
 庭に居るイルファさんからの声。何故庭からなのかと言えば答えは単純明快、洗濯物を干しているのだ。
 朝食が終わった後、イルファさんは早速メイドロボとしての責務を果たすべくまずは洗濯にとりかかった。
 実際、洗濯物は溜まりかけていたところだったのでその行為自体はありがたかったのだが、殆どがTシャツと下着というのが恥ずかしい。
 せめて下着だけは自分で洗おうかとも思ったのだけれど見事に断られてしまった。
 で、今はする事もなくリビングでテレビを観ていたのだけれど……
「あー、そうだなぁ」
 朝ごはんは軽めだったので昼食も普通に食べられそうだけど、どうしよう。
「今日も暑いですから、さっぱりしたものの方がいいかと思うんですが」
「そうだね……じゃあ素麺とかどうだろ」
「素麺ですね。でもそれだけですと食卓が寂しいので何か付け合せも作りましょうか」
「うん、そうだね……でも、冷蔵庫に何もないような気がするんだけど」
 というか自分で言っておいてあれだけど素麺なんて無かった気がする。
 正確にはカップ麺の買い置きや食パン、卵とかしか無かったような?
「それでしたら私が買い出しに行ってきますので大丈夫ですよ」
「あ、じゃあ俺も一緒に行くよ」
「よろしいのですか?」
「うん、どうせ暇だし」
 いくらイルファさんがメイドロボだとは言っても、やっぱり女性一人で買い物に行かせるのは忍びない……というか男として何か間違ってる気がする。
 それに、買い物ならば家事スキルの無い俺にとってイルファさんを手伝う事が出来る数少ないチャンスだ。
「……では、貴明さんと商店街までデートですね」
「ぶふっ!!」
 イルファさんのすごい発言に思わず噴き出してしまう。
「い、イルファさん!?」
「だって、貴明さんと2人っきりでのお出掛けですし。そう考えれば、たとえ内容はお昼ご飯の買出しだとしてもデートと言えるのではないですか?」
「う、うーん……?」
 そうなんだろうか?
 買出しは買出しであってデートじゃないような気がするんだけど。
「それとも貴明さんは、私とではデートしたくない……と仰られるんですか?」
 イルファさんがちょっと悲しそうな顔になる。
「そ、そんなことないよ!」
 慌てて否定する。
 別にイルファさんが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだし、大切な人の部類に入る。
 ただ、ダイレクトに好意をぶつけられる、という行為に、俺自身が慣れてないだけなのだ。
「じゃあ、その、デートって事で、ひとつ」
「はいっ」
 デート、と言う言葉を使った途端に、イルファさんが笑顔に変わる。
 その顔は、やっぱりロボットとは思えないくらいに感情が溢れ出ていて、魅力的だった。
「え、えっと、俺、出かける準備してくるから!」
 その魅力的な笑顔を直視出来なくて、俺はリビングを逃げ出すように出て行った。



 着替えを終えて一階に戻ると、イルファさんが玄関で待っていてくれた。
「では、行きましょうか」
「うん」
 心なしかイルファさんの表情は弛んでいるように見える。
 これからやる事はただのお昼ご飯の買出しなのに名目がデートになるだけでそんなに嬉しいものなのだろうか。
「ねぇ、イルファさん」
「なんでしょう?」
「なんというか……やる事なんてただの買い物なのにそんなに嬉しいものなの?」
「はい、とても。だって……」
「だって?」
「ふふ、秘密です」
 必殺スマイルで交わされてしまう。
 それだけイルファさんが俺の事を家族だと思ってくれてるって事だとは思うんだけど、なんかなぁ……。
 ――うーん、これだからタマ姉に女心が解らないなんて言われるのかな。
 なんてことを考えていると。

 どんっ!

「うわっ!?」
「きゃぁ!」
 よそ事を考えていたせいか、商店街の入り口で誰かと見事にぶつかってしまった。
「貴明さん!」
 驚いた顔のイルファさんが駆け寄ってくる。
 とりあえず自分の体を見る限り特に怪我はしてなさそうなので、腕を振って健在をアピール。
 そのままぶつかったであろう相手を探す。
 その子は俺のすぐ脇で頭を抱えていた。
「いたたぁ……ちょっと、気をつけなさいよ!」
「あ、ご、ごめん……大丈夫?」
 中学生ぐらいだろうか。
 髪の毛は真ん中から中央寄りに分かれていて、肩口に掛かるほど長い髪の毛は首の後ろ辺りからゴムで纏められている。
 なんとなくだけど、何処かで見た顔のような気がした。
「立てる?」
「流石に今のぐらいで怪我なんかしないわよ……っと」
 少女は俺の差し出した手を掴んで立ち上がる。
「……くのぉ〜〜!」
「ん?」
 後ろの方から聞き覚えのある間延びした声が聞こえてくる。
 ひょっとして……。
「いくのぉ〜!!」
 少しだけ横に流れた前髪と、長い髪の毛を横で返している独特のヘアスタイル。
「お姉ちゃん、遅いっ!」
「だ、だってだってぇ〜」
 そして、どう見ても年下を相手にしているのに立場が低く見えてしまうこのキャラクター。
「小牧さん?」
「こ、河野くん!?」
 息を切らせながら走ってきたのは、我らがいいんちょこと小牧さんだった。
 それでもって、小牧さんをお姉ちゃんと呼んでいるこの子はどうやら小牧さんの妹らしい。
「こうの……あんた、ひょっとして『こうのたかあき』?」
「え、そ、そうだけど」
「ふ〜ん」
「郁乃?河野くんと知り合いなの?」
 妹の名前は郁乃というらしい。
 郁乃ちゃんは俺の名前を知ると、何やら嘗め回すような視線でこちらを見た。
 その視線は、心なしか鋭いもののように感じられる。
「あんた……お姉ちゃんとどういう関係?」
「は?」
「へ?」
「だから、あんたはお姉ちゃん何なの?恋人?それとも只のオトモダチ?」
「えぇっ!?」
「い、郁乃っ!??!」
 唐突に投げ掛けられる物凄い質問。
「ち、違う違います違う時違えば違うからこそ違えれっていうかととととにかく私と河野くんはそんな関係じゃありませんっ!」
「こ、小牧さん……」
 いや、確かに俺と小牧さんは唯のクラスメイトだけど、流石にそこまで言われたらちょっと悲しい。
 というかいつの間に早口言葉得意になったんだろうか?
「ふぅん……」
 郁乃ちゃんは小牧さんの回答を聞いても尚疑うような目付きでこちらを見ている。
「その割にはお姉ちゃんいっつも……」
「わ、わーっ!わーっ!!」
「むぐっ!?」
 何か言葉を続けようとした郁乃ちゃんの口を、小牧さんが慌てて塞ぐ。
「あ、あはは!じゃあ河野くん、私たち、帰ってお昼の準備をしなければいけないのでっ」
「〜〜〜!〜〜〜〜〜!!!」
「え、あ……うん」
「で、ではでは、良い夏休みを〜〜」
「〜〜〜!!!〜〜〜〜〜〜!!!?」
 小牧さんは郁乃ちゃんの口を塞いだまま住宅街の方へと去っていった。
 最後は何だか嫌に慌てていたけれど一体なんだったんだろうか?
 首を捻りながら振り返る。
「…………」
「あ、あれ?」
 するとこちらでは何故かイルファさんがちょっと怒ったような表情で立っていた。
「イルファさん、どうかした?」
「貴明さん、ひどいです」
「え?」
「今は私とデート中なのに他の女性にかまけて……」
「え、えぇ!?」
 そんな、ただクラスメイトと道端で会ったから軽く話しただけなのに。
「貴明さんは私よりもあの方のほうが大事なんですねっ」
「え、あ、イルファさん?」
「ひどい……ひどいですっ」
 イルファさんは両手で顔をふさいで泣き崩れる。
「ちょっ、ちょっと……!」
 更には肩を震わせながら後ろを向かれてしまう。
 突然の態度にどうすればいいのか解らず戸惑っていると、何だか周りからいやに見られていることに気づいた。
 冷静に今の状況を確認してみる。
 泣いているイルファさん。
 イルファさんの側でおろおろしてる俺。
 ……あれ?ひょっとしてこれって俺が悪い彼氏とかそういう状況だと思われてる?
「やあねぇ、最近の若い子は」
「ほんとほんと、嫌になっちゃうわ」
 スーパーから出てきたところらしいおばちゃんたちの視線が痛い。
 こ、こうなったら逃げるしか……!
「タカくん?」
「はいぃっ!?」
 瞬間、物凄く聞き覚えのある声に呼び止められた。
 恐る恐る後ろを振り向く。
「やっぱりタカくんじゃない。どうしたの、こんなところで」
 そこには、おば……もとい、春夏さんがいた。
「いえ、その、なんていうかですね」
 やばい。
 この状況は大変よろしくない。
 春夏さんがこの状況を知ったらどうなるかは想像に難くない。
 タマ姉より怖い目に遭わされるに違いない。
 なんとかそれだけは防がなくては!
「は、春夏さんはお昼の買出しですか!?」
 春夏さんの視界を塞ぐ様に前に出る。
 なんとか世間話で場を繋いで後ろに注意を向かせないようにしないと!
「え、えぇ、お昼は素麺にでもしようかと思って。そうだタカくん、よかったら――」
 ぴたり、と春夏さんの動きが止まった。
「あら……?」
 そしてその視線は俺の後ろへと向いている。
 ダメだ、終わった。
 きっとこれから俺は一生のトラウマになるようなお仕置きをされてしまうに違いない。
「…………」
 きっとあんな事やそんな事やヘタしたらこんな事までされちゃうんだ……。
 想像した未来の余りの恐ろしさに愕然とする。
「タカくん」
「ひゃいっ!」
 き、きたー!?
「ダメよ、女の子の嘘泣きに騙されちゃ」
「………………へ?」
 嘘泣き?
 まさかと思って後ろを向く。
「……バレてしまいました」
 するとそこにはばつの悪そうな笑顔のイルファさんの姿があった。
 涙どころか流れていた跡さえ見当たらない。
 そこで俺はようやく一つの事実を思い出す。
 そうだ、イルファさんは泣けなかったんだ。
「い、イルファさん……」
 またも弄ばれていた事が解って、脱力してしまう。
 というか俺は何度イルファさんに騙されれば気が済むんだろうか。
 流石にちょっと自分が嫌になってくる。
「イルファちゃんっていうの?貴女ももう少し嘘が巧くつけるようにならないとねぇ」
「はぁ……貴明さんになら十分かと思ったのですが、誤算でした。努力いたします」
「えぇぇ!?」
 ニコニコと笑いながら物騒な会話をしてくださる2人。
 どうやらこの人たちは俺に気落ちする暇すら与えてくれないらしい。
「まぁ冗談はさておいて」
「冗談なんですかっ」
 春夏さんの場合何処までが冗談か解らないから怖い。
「タカくん、よかったらうちでお昼一緒に食べない?」
「え」
「え」
 俺とイルファさんの動きがピタリと止まる。
「あら、何か予定でもあったかしら?」
「いえ、そういう訳ではないんですけど」
 今日のお昼はイルファさんが作ってくれることになっている。
 というかこの買い物デートだって元はといえばそれが目的なのだ。
 けれど春夏さんの誘いを無下にするのも気が引ける。
 どうしようかと迷いながらイルファさんを見る。
「…………」
 イルファさんは何かを期待するような目でこちらを見ている。
 仲間にしますか……ってそうじゃなくて。
 これはやっぱり断るのを期待してるんだろうか。
 や、やっぱりそうだよなぁ。
 よし、春夏さんにもデートだって事を強調すればそこまで目くじらは立てられないだろう。
 勇気を出して断るぞ!
「春夏さん、あの……」
「あら、タカ坊じゃない」
 一世一代の勇気は、至極あっさりと第3の声に遮られた。
「あらあら、タマちゃんじゃない。元気だった?」
「ご無沙汰しております。お陰様で弟共々息災です」
 にこやかな笑みを浮かべて挨拶するタマ姉。
 そう、タマ姉こそが第3の声の正体だった。
「丁度良かったわ、タマちゃん。今タカくんにもお昼一緒にって誘ってたんだけど、タマちゃんもどう?」
「え、ご迷惑じゃないですか?」
「タマちゃんなら大歓迎よ」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。久しぶりにおばさまからお料理も学びたいですし」
「じゃあ決定。タカくんも、いいわよね?」
「う」
 春夏さんはタマ姉という強力無比な味方を手中に収めた。
 どちらか一方だけでも秘宝を77個使った新しき神並に手強いのに、2人が手を組んだ今となっては俺に勝ち目なんて無かった。
「……はい、お願いします」
 力なく頷く。
「じゃあ時間も時間だし、早いところ行きましょうか」
 春夏さんとタマ姉が早くも歩き始める。
 俺は2人に着いて行こうとする前に、横に居るイルファさんに向き直った。
「ごめん、イルファさん。断りきれなかった」
「い、いえ、お気になさらないで下さい。お2人とも貴明さんが普段からお世話になっている方ですし、せっかくのご好意を無駄にしてしまってはいけませんし」
「でも……」
「それに、私も上手な方からお料理を学びたいですし。本当にお気になさらないで下さい」
 明らかに気を遣ってもらってるのがわかるが、ここまで言われると、今の俺には返す言葉は無かった。
「タカ坊ー?」
 少し先からタマ姉の呼ぶ声がする。
「ほら貴明さん、呼んでらっしゃいますよ」
「……うん、いこうか」
 イルファさんに促されて、俺は一歩を踏み出す。
 そしてイルファさんと一緒に、前を歩くタマ姉達に追いつくのだった。


     *     *     *


「ご馳走様でした」
「ごちそうさまでした」
「ごちそーさまでしたっ」
 三者三様の挨拶。
「はい、お粗末様でした」
 それをしっかり聞き届けてから、春夏さんは食器の後片付けに入った。
 イルファさんがお手伝いをするべくそれに続く。
 タマ姉も手伝いを申し出たが、お客様に手伝っていく訳には行かないというのと、何より人手が多かったために断られた。
 で、食事が終わった状態で何をしているかと言うと……。
「はいタカくん、あ〜ん」
 春夏さんの娘にして俺たちの幼馴染、このみが持ってきたデザートを食したりしている。
 ちなみに柚原家御用達のととみやのカステラだ。
 今度はちゃんと許可を貰っているらしい。
「はいタカ坊、あ〜ん」
 そして今俺は左右から同時に攻撃というか口撃というかそういうのを文字通り食らっている訳で。
「ちょ、ちょっと2人とも」
「う?」
「どうしたの、タカ坊?」
 俺の目の前数センチに突きつけられた2つのカステラ。
 どっちを先に食べても波風が立つのは避けられない気がする。
 ていうか、こんな所をイルファさんに見つかったら不味いんじゃないだろうか。
「こういうのは遠慮したいというか、その」
 何とか脱出を試みる。
 しかし、この2人がそう簡単に逃がしてくれる訳が無かった。
「タカくん、あーん」
「タカ坊、あ〜ん」
 2人とも聞く耳持たずと言わんばかりの勢いでフォークを差し出してくる。
 ただでさえ押しの強い2人なだけに、ここで引いてくれるなんて事がある訳が無い。
 どうしようか、と考えてもこの場をしのぎきるいい考えなんて浮かぶ筈もない。
「くっ……」
 選ぶべきはこのみ(右)かタマ姉(左)かの単純な二択。
 俺が選んだのは………
「タカくん!?」
「タカ坊!」
 目の前には、何も突き刺されていないフォークが2つ。
 そして両頬が膨れている俺。
 そう、俺が選んだのは両方を同時に食することだった。
 このみを先に選んでもタマ姉を先に選んでもどちらかには悲しまれてしまう。
 ならばいっそ両方を選んでしまえばいい、というのが俺の結論だった。
 2人が予想外の状況に驚いている間にもぐもぐごっくんと胃に流し込む。
 せっかくのととみやのカステラだっただけに勿体無いとは思ったが、今は味にかまけてられる場合ではなかった。
 よし、このまま何とか脱出を――――。
 そんな浅はかな望みは叶う筈も無かった。
 ひょい。
「ん?」
 再び目の前に突き出されるフォーク。
「はい、タカくん」
 犯人はこのみ。
 そしてフォークの先には再びカステラのカケラ。
 これはアレか。
 もう一回食べてっていう流れか。
「じゃあ私も」
 ひょい、と更に突き出されるフォーク。
 タマ姉もこの流れに追随してきた。
 結果、1分前となんら変わらない状況が出来上がる。
 仕方が無いのでまた食べる。
 今度は両方同時なんて荒業は使えないので大人しく先着順だ。
 つまり、今回はこのみから。


 もぐもぐ、ごっくん。

 ひょい。
 ひょい。

 再び突き出されるフォーク。

 もぐもぐ、ごっくん。

 ひょい。
 ひょい。

 更に突き出されるフォーク。

 結局2つのカステラを丸々食すまでこのやりとりは続いたのだった。


     *     *     *


 そんなこんなで、気がつけば夜になった。
 お昼の後は皆で遊ぶのかと思っていたが、タマ姉は家の用事があるからと帰ってしまい、このみはこのみでちゃるたちとの予定があったらしく、すぐに出かけて行ってしまった。
 その後はイルファさんと一緒に家に戻ってリビングの掃除をしたり久しぶりに庭の手入れをしたりと家事にかまけ、気がつけばカラスが鳴くような時間帯になっていた。
 夕食はイルファさんお手製の料理。
 イルファさんの料理の腕は姫百合家に来た直後から知っているが、最近益々腕を上げているようだった。
 きっと瑠璃ちゃんが色々教えてあげているに違いない。
 夕食後は2人で片づけをして(と言っても俺は皿を運んだだけだけど)、その後はお互いの近況を話し合ったりもした。
 普段から一緒にいることが多かった筈なのに、まだまだお互い知らない事は沢山あったのが驚きだった。
 そして現在、俺は自分の部屋にいる。
 時刻はそろそろ日付が変わろうかという頃合。
 この時間帯になると、最早するべき事など睡眠ぐらいである。
 しかし、そこに罠は待ち受けていたのだ。
「イルファさん……何やってるの?」
 ベッドの中には、なんとイルファさんが待ち受けていた!
「見ての通りです」
 イルファさんは別段何でも無い事のように答える。
 いや、その見ての通りという意味が解らないというか解りたくないから聞いてるんですが。
 何か矛盾してるような気もするけど気にしたら負けだ。
「さ、貴明さん、どうぞいらしてください」
「いや、どうぞって言われても」
 いや、本当は解っている。
 何でイルファさんがベッドにいるのかや、いらしてくださいなんて言っている意味も。
 けれど、それを認めたくない自分がいる。
「とりあえずベッドから出てください」
「貴明さん……女性に恥をかかせるおつもりですか」
 あぁやっぱり。
 というかこの人はこういう知識を何処で手に入れてるんだろうか。
 そりゃあ俺だってそういう事に興味が無い訳じゃないし、外からは見えない所にそういう本も隠してたりはするけれど。
「あのねイルファさん、物事には順番というものがあって」
「貴明さんは私のことがお嫌いですか?」
「う」
 イルファさんを諭そうと話し始めた瞬間、カウンターでいきなり核心を突かれる。
 予想してなかったタイミングでの反撃だった。
「いや、それは……」
「どうなのですか」
 ずい、と詰め寄ってくるイルファさん。
「す、好き……だよ」
「私も貴明さんの事が好きです。珊瑚様、瑠璃様のご学友として。私たちの恩人として。大切な家族として。そして何より、1人の男性としてお慕いしています」
「……うぐ」
 解ってはいるけれど、改めて言われるととても恥ずかしい。
 間違いなく今の俺の顔は真っ赤だろう。
「貴明さんはどうですか?」
「それは……」
 考える。
 俺は今、イルファさんを自分にとってどういう存在だと思っているのか。
 大切な人であることは間違いない。
 なら、一体どういう意味で大切な人なんだろうか。
「……珊瑚ちゃんや瑠璃ちゃんの家族として、ってのもあるけど、やっぱり一番は1人の女性として、かな」
 それが俺の正直な気持ちだった。
 珊瑚ちゃん、瑠璃ちゃん、イルファさんの内誰が一番大切かなんて決めることは出来ない。
 けれど、皆が皆、とても大切な人なのだ。
「でしたら、何も問題はないじゃないですか」
「え?」
「お互いがお互いの事を意識しあっているのなら、何も問題は無い筈です」
 そう、なんだろうか。
 確かに問題は無いのかもしれない。
 けれど、もっと大切な事があるような気がする。
「それとも、貴明さんは私とではそういうコトは出来ませんか?」
「そ、そんな事は無いよ」
「でしたら」
 イルファさんは熱っぽい表情で近づいてくる。
 そして、この流れに乗ってしまいたいと考えている自分がいる。
 乗ってしまえばいい。
 お互い好きなんだし、イルファさんが言ってるように問題なんて何も無いじゃないか。
 イルファさんだってそれを望んでいるんだし据え膳食わぬは、とも言うじゃないか。
 そんな誘惑が心の中で囁かれる。
 けど、俺は――――
「イルファさん、ちょっと俺の話を聞いて」
 そんな誘惑に抗って、近づいてくるイルファさんを押しとどめた。
「貴明さん?」
「俺、確かにイルファさんが好きだ。さっき言った事に嘘はないし、本当に大切な人だと思ってる」
 そう、そこに嘘なんてカケラも無い。
「けど、だからこそ安易にこういう事はしたくないんだ」
 俺自身巧く言えないんだけれど、こういうのにはちゃんとしたタイミングというのがあるんだと思う。
 特に、一番最初の一回というのには。
 そして、そのタイミングは、多分、今じゃない。
「俺だって男だから、そういうことをしたくないって言ったら嘘になる」
 というか、したいかしたくないかだけで言ったら間違いなくしたい。
「けど、なんていうかその、初めてだからこそ雰囲気を大切にしたいというか」
「貴明さん……」
「ごめん、なんか巧く言えない」
「いえ……ありがとうございます。私も少し焦っていたのかもしれません」
「焦ってた?」
「はい。今日一日、貴明さんの周りには魅力的な女性が沢山寄ってらしたので……」
「…………」
 今日一日を思い返す。
 小牧さんとその妹の郁乃ちゃん、春夏さんにタマ姉、このみ。
 普段は全く意識したことなんかなかったけれど、傍から見たらそういう風にも見えたのか……。
「ごめん、イルファさんに対する配慮が足りなかったかも」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした」
 イルファさんがベッドから降りる。
「今回は出過ぎた行動をしてしまって申し訳ありませんでした。では、ごゆっくりとお休み下さい」
 一礼して踵を返す。
「あ、ちょっと待って!」
 思わずイルファさんの腕を掴んで引き止める。
「貴明さん?」
「その、あんな事言ったばっかりで説得力無いかもなんだけど」
 頬をポリポリと掻く。
「その、もし良かったら一緒に寝てくれないかなぁ……とか」
「えっ……」
「いや、その、別にそういう事をしたいとかじゃなくて!いやしたくない訳じゃないんだけど!!」
 自分でも何を言ってるのか良く解らない。
 けど、イルファさんと一緒に眠りたいというのは今の本音だった。
「ふふ、解りました。では喜んでご一緒させていただきます」
 イルファさんは柔らかい笑みを浮かべると、俺の手を引くようにベッドに入っていった。
 勿論電気を消すのも忘れない。
 一人用のベッドに2人ではいるのは少しだけきつかったけれど、そんなに気になるほどでもなかった。
 すぐ隣で横になっているイルファさんの柔らかさと暖かさが心地いい。
「イルファさん」
「はい?」
 首から上だけをこちらに向けたイルファさんの唇に、狙い済ましてキスをする。
「た、貴明さん……」
 イルファさんに対する気持ちと、今日の無意識行動で傷つけた分のお詫びだった。
「じゃ、じゃあお休みっ」
 それでもやっぱり照れくさくて、イルファさんを見つめ続ける事が出来ずにすぐに反対方向に向き直る。
 自分からしたこととはいえ、心臓が飛び跳ねそうなくらい強く鼓動していて、すぐに寝付けそうにはなかった。
 でも、それならそれでいい。
 起きてる間は、後ろにいるイルファさんを感じていよ……って、あれ?
「い、イルファさん?」
「はい?」
 何か柔らかくて暖かいものが大事なところにアタッテルンデスガ?
「ふふ、貴明さんお元気ですね」
「え、あ、ちょ……っ」
「不意打ちが嬉しかったので、そのお礼……です」
 イルファさんのその台詞は、妖悦な響きに満ちていた。



 ……まぁ、なんというか。
 結局、人は三大欲求には抗えないものなんだ、という事で。


後書き

昔似たようなHNだった頃があったかもしれなくて、そんな頃の作品かもしれないものです。
記念すべき作品ではあるのである意味最初にUPするのにはふさわしいかなと思いました。
イルファさんは作品的には非常に報われませんがだからこその輝きがあると思ってます。
不幸属性っていうなー!


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